【新唐人2011年10月11日付ニュース】今年で辛亥革命から100年。孫文の孫、孫穂芳さんは先日、中国共産党を痛烈に批判しました。国父と仰がれる孫文をおとしめたほか、政治的意図から孫文の三民主義を改ざんしたからだそうです。
100年前の辛亥革命によって、清朝が倒され、アジア初の民主共和国が誕生しました。中華民国です。国父、孫文の孫として、孫穂芳さんは、辛亥革命100周年の意義は重要だと強調。しかし、香港の新聞「明報」に対し、共産党への怒りをあらわにしました。
孫さんによると、10年前、中国当局による辛亥革命90周年の記念式典で、当時の江沢民総書記は、「ロシアおよび共産党と協力し、労働者と農民を助ける」という新三民主義政策を孫文が掲げたと発言。
それは歴史の改ざんだと、孫さんは不満を隠しません。孫文の三民主義にそんなレッテルを貼ってはいけないと、痛烈に共産党を批判しました。
辛亥革命に詳しい辛さんは講演の中で、孫文の三民主義は一つしかないと何度も強調しています。
歴史学者 辛灏年氏:「孫文の三民主義は一つだけです。民族主義 民権主義と民生主義です」
また、孫文がソ連と協力し共産党を受け入れたのではなく、当時のロシア政府が孫文と協力し、共産党を受け入れる必要があったと指摘。共産党はずっと誤った宣伝をしていると批判します。
歴史学者 辛灏年氏:「レーニンの指示は3つ、そのうち2つが明確です。一 中国に共産党を創建すること二 中国で協力できる相手を探すこと」
江沢民による事実捏造について、孫さんは2002年、批判する書簡を第三者を通じて江沢民に提出。翌年、江沢民は返信の中で、孫さんによる辛亥革命の式典に金を出してもよいと表明。2008年、再び江沢民は1000万ドルにも及ぶ資金援助を申し出ました。
しかしそれは歴史の歪曲だとして、孫さんは断ったそうです。
このほか台湾メディアは孫さんの話として、中国共産党は孫文の思想を、政治的意図から利用しようとしていると報道。たとえば1949年、毛沢東は「人民民主独裁を論じる」の文章で、孫文の指導した革命を資産階級革命だと断言。「孫文は絶望の中で、10月革命と中国共産党に出会った」とも述べています。
孫さんは「それはたらめだ」と述べ、孫文は絶望したことなどなかったと強調。辛亥革命の機運を高めたといわれる黄花岡事件の「烈士」は、ほとんどが庶民だったとして、資産階級だというのはおかしいといいます。
中央研究院近代史研究所 陳儀深博士:「孫文には三民主義の理想がありました。辛亥革命の成功には地下の組織が必要でした。そして新たなパワーが生まれて、清朝が崩壊しました。だから多くの力の結合です。孫文が資産階級だというのはマルクスや共産党の一種の解釈です」
1981年、孫さんが江蘇省南京にある孫文の陵墓を訪れた際、国民党のマークが消されていることを発見。孫さんの強い抗議を受けて、南京市政府は修復したものの、今年5月、再び孫さんが訪れると、今度は石に彫られていた「会議通則」が消されていました。文化財を破壊するこれらの行為に、孫さんは強く心を痛めました。
しかし、辛亥革命100周年を迎えて、76歳の孫さんは自ら世界各地を奔走し、国父の銅像100体を寄贈しています。祖父、孫文の精神を伝える旅をやめることなどできないと述べる孫さんは、近年、千回以上の講演をこなしています。
新唐人テレビがお伝えしました。
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